戦後初の夏の甲子園大会中止
かつての高校球児 今は高校野球ファンの私も
このニュースを聞いたときにはショックだった。
今まで目指していた場所がなくなったわけだから
十代の高校生にとってどんなに辛いことなのか
失望感 喪失感は痛いほどわかる。
その球児たちに
「すべては過程なんだよ」と言ったところで
なんの励ましになるはずもなく
当時の自分でも到底理解できる話ではない。
今のコロナ禍においては 「戦後初の・・・」という
ことばをよく耳にする。
昨日は「GDP 戦後最悪」のニュースが流れた。
夏の甲子園 青森ねぶた祭 阿波踊り・・・など
戦後初の中止というニュースも聞きなれてしまった。
対馬醤油は創業 明治20年
戦争も乗り越えてきて今日がある。
75年前の夏 先代はどのうような思いでいたのだろうか?
このコロナ禍に生きる我々とは比べものにならない程の
絶望感があったことは容易に想像できる。
今から振り返ると 終戦の時代も過程であり
今日も明日からみれば過程であり
すべてのものごとは必要なことしかおこらない
自分の身で起こっていることはすべて意味があり
起こるべくして起こっているという。
自分の身で起きていることを すべて過程と
捉えることができれば常にポジティブに生きていける。
こどもの頃は「なんでぼくだけ?」といって泣いたこともある。
大人になって新規事業を立ち上げるタイミングで
「○○会長」「○○役員」になって欲しいという話が重なって
「なんでこのタイミングで?」と思い
親戚の叔父様に相談したところ
「大丈夫!全部受けなさい」
「神様はあなたたにできることしか 与えないから」
「総理大臣になってくれという話はこないだろ?」
って背中をおされたことを思い出す。
「なんで?なんで?」と悲観ばかりぜずに
その意味を考えること きっと神様が何かを教えようと
して下さってる。
こういったことも「すべて過程」であり今日がある。
そうポジティブに考えることだ。
コロナ不況において
事業の再構築をしよう!
計画を練り直そう!
という経営者も多いのではないでしょうか
最初にやることは 過去の実績の検証である。
思い描いていた数字ではなく 過去の悪い数字を眺めていると
気分も重くなる。反省ばかりで何も解決しない。
これらはすべて過程であり 自分が歩んできた道
過程は変えることができない。
過程は素直に受け止める。
過程は今の自分 これからの自分に必要であるからだ。
これらをしっかり認めた上で さあ明日へ一歩踏み出そう!
そう思考を変えた瞬間に「ワクワク」してくるはずだ。
明日をどう考えるかは自由である。
だから 過去の過程で学んだことを振り返り
明日を思考すれば「ワクワク」するはずだ。
ある先生に「ワクワクすることしようや!」と言われたことがある。
簡単な言葉に聞こえるが すごく奥が深い言葉だなと思う。
毎日「ワクワク」することを考え
選択に迷ったら「魂の喜ぶことは何?」
自分に問いかけながら人生を送ることが大切だ。
そういえば 青学の駅伝部でも
「ワクワク大作戦」ってのがあったなー
こんな時期だから
常に「ワクワク」ですね!
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